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「母親の育て方が原因」説は全くの誤り
「母親の育て方が原因」という主張は、今日では全く受け入れられていません。ローナ・ウィングによれば、これまでの統計的調査では、自閉症児の両親に共通した特徴を発見することはできませんでした。もし、親の育て方に原因があるのなら、自閉症児の親には共通した要因がなければならないはずです。
「母親犯人説」を世間に広めたのは、『自閉症-うつろな砦』の著者、ベッテルハイムでした。今日では、死後、自分が運営する自閉症児施設の職員などの証言から、自閉症児を施設の中で虐待していたことが明らかになるというスキャンダルで記憶に残っているにすぎない人物です。
1903年ユダヤ系ドイツ人ブルーノ・ベッテルハイムは、1938年にいったん強制収容所に入れられ、アメリカに移住しました。ナチスによって大学の在籍記録などが破棄されていたことをいいことにフロイトの薫陶を受けているかのように巧みに自己宣伝を行い、「強制収容所を生き延びたユダヤ人亡命学者」への敬意も利用して、まんまとシカゴ大学付属の養護学校の校長となり、「自閉症は、冷蔵庫のような冷たい母親によって虐待されたトラウマによって起こる」という自閉症の「悪しき母子関係によって生じる心理的原因説」を打ち出しました。
ベッテルハイムは母親が原因なのだから、母親から引きはなさなければならないとして、小学生年齢の児童まで親から引き離して彼の養護学校に入寮させました。親が施設見学にきても、施設の中枢部分には立ち入らせないなどの徹底的な秘密主義を取り、なんら実証的なデータもあかさず、「自分は自閉症児の50%を治している」と主張しました。専門研究者の間では1種の俗説扱いしかされませんでしたが、テレビに頻繁に顔を出し、社会に「自閉症の原因は、冷酷な母親の虐待によるものであり、愛と自由によって回復させることができる」というロマンチシズムを広げることに成功しました。ベッテルハイムが盛名を誇った時期には、この「母親犯人説」が社会に浸透し、自閉症児をクリニックに連れてきた母親には、椅子も提供されず、立ったまま待たされる、という悪人扱いされた時期すらあったのです。
躁鬱の波があったベッテルハイムは1990年に自殺しました。やがて、生前のベッテルハイムを知る、膨大な証人の証言に基づく暴露本が出版され、「病的虚言家ベッテルハイム」の実像が明らかとなりました。生前は学位をすでに取得していたと称していたのに、本当のところはウィーン大学を中退してすぐにビジネスに飛びついていたという経歴詐称が明らかになりました。フロイトの薫陶を受けたという経歴もでたらめでした。彼が、亡命前や施設設立までに「治した」と称していた自閉症児は、その所在を確認することができず、おそらくはただの作り話だろうとされました。著者の多くに盗作部分が見つかりました。徹底的な秘密主義の中で彼が自閉症児に暴力を振るっていたことには多くの裏付けがとれました。あっという間にベッテルハイムは「過酷な強制収容所を生き延びた自閉症研究の第1人」から「とんでもない虚言癖のペテン師」に転落しました。
ベッテルハイムは、「母親が悪い」とする人々が、自分を「かわいそうな子供を悪い親から救う救済者」というヒロイズムに酔ったナルシストにすぎない可能性をよく表しています。
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